毎日、腹痛。(仮)

サラリーマンの憂鬱

10回目

「はじめてのおつかい」という物心ついた頃からやっている長寿番組(不定期放送)が先日放送されていた。

 

簡単に説明すると、3歳〜5歳くらいの小さなお子さんが、生まれて初めて一人きりでおつかいに行く姿を捉えるドキュメンタリータッチの番組だ。

 

 

おつかいの流れは以下の通り。

 

「行きたくない」と泣きじゃくる子どもを優しく諭す親

→初めの一歩を踏み出すも何度も玄関前にいる親を振り返って見てしまう子ども

→やがて、曲がり角を過ぎて子どもの小さな背中は見えなくなる

→子どもは途中寂しくなり泣き出すも、家族のためにおつかいを果たす

→笑顔で両親の元に帰宅する

 

あかん、私もう嗚咽止まらん。

学生時代とかは何とも思わなかったのに。

 

ハリウッド的に言えば「地球に大規模な隕石が接近→誰かが命を懸けてロケット毎隕石に突撃→隕石爆破→地球の危機が去り平和に!」と言った王道パターンよろしくだけど、だが、それが良い!

 

「ほうれん草」の買い物を頼まれていたのに、「レタス」を買っちゃうという子どもながらの天然小ボケを挟みつつ、あんなに泣いていた子どもが店員に「ありがとう」とお礼をして親の待つ家に戻って行く。

そして、帰ってきた子どもを迎えた親は号泣。

子どもは「どうして泣いてるの?」と笑顔で親に問いかける。

スタートとエンドで泣いてる人間が逆転している。

とてつもない、短期集中型成長記録。

テレビ前の私も号アンド泣である。

おっさん化が止まらない。

 

また、おつかい中に流れる挿入歌「しょげないでよBaby」がたまらなく名曲なのだ。

 

失恋中の女子に向けて言ったら一発で「はぁ?」と返答されること間違いなし!である「しょげないでよBaby」というタイトルも、寂しさと闘いながらおつかいする子どもに向けては抜群な効果を発揮する。

 

ちなみに私の初めてのおつかいは、なんと10歳だった。

 

おい!20年前の俺!独り立ち遅すぎるだろ!

テレビの中で4歳の女の子が頑張って親のためにケーキ買ってんだぞ!

10歳って小5じゃねぇか!エロ本読み始めた頃だろ!

 

しかも、夏休みの宿題である防災ポスターに使う画用紙を買いに家から徒歩3分の文房具店に行くという焼け野原の様なドラマ性の無さ。

つくづく自分という人間がなんの取り柄も無い落ちこぼれであると痛感する記憶だ。

 

当然、両親の見送りも出迎えも無かった。

現実は以下の通りだ。

 

私「ただいま。画用紙買って来た」

母「おかえりー」

私「初めて一人で買い物行ったわ」

 

この後の母の「えっ、嘘でしょ、、、この歳で初めてのおつかいだったの、、、?」という驚愕の表情を忘れられない。

そこには感動では無く、哀れみの涙が流れていた。

 

そんなことより、現在東急大井町線中延駅でこの文章を入力しているのだが、やばい、危機的状況だ、お腹の中が暴れまわってる。

理由は後述する。

 

 

 

30年生きてきた。

はじめてのおつかいから20年が経った。

しかし、世の中不思議なものでこの歳になってもまだ初めての経験という出来事が急にやってくる。

 

 

「腹痛サラリーマン、はじめてのバリウム検査」

 

 

本日、健康診断を受けてきた。

そこでは、30歳にして「はじめての」バリウム検査が待っていた。

 

バリウム検査は辛い。

 

そんな噂を耳にしており、昨夜から「嫌だ、行きたくない」と絶望していた。

なんなら、おつかい前の子供より無表情になっていた。

 

 

それでは、はじめてのバリウム検査、早速振り返ってみようと思います。

 

 

まず、採血や身体測定といった例年通りの健康診断をこなす。

視力が年々悪くなっており、ついに両目とも0.6まで低下したことに微妙に凹む。(社会人になるまで両目1.5)

そして、ついに胃部レントゲン室前に待機するよう指示が出された。

 

検査までに注意書きを読むよう4枚の紙を手渡された。

 

注意1「検査前に発泡剤を飲みます。検査終了まで絶対にゲップはしないようにしてください。ゲップをしそうになったら我慢して唾を空気と一緒に飲み込みましょう。(検査時間は約10分です)」

 

唾を空気と一緒に飲み込むだと!?

なんなんだ、この日本語は!!

「雪がしんしんと降る」「しこしこもっちり」以来の絶妙なワードの組み合わせに理解が進まず焦りは募る。

しかも、検査時間10分もかかるのかよ、、、FF7の魔晄炉脱出イベントと同じ時間じゃないか、、、。

何よりも、「炭酸飲むとゲップが出て痛い」という理由で高校生になるまでコーラが苦手だった私、ゲップに耐えられる自信は全く無い。

 

注意2「発泡剤を飲んだ後、バリウムを飲みます。バリウムは基本的に無害ですが、特に敏感な方については蕁麻疹が出る場合があります。」

 

このブログのタイトルから分かる通り、過敏性腸症候群に悩まされている私から敏感という文字を取ったら何も残らないだろう。

痔は残ります。

 

注意3「検査終了後、すぐにコップ3〜4杯分の水を飲み、下剤を服用してください。」

 

げ、げ、げ、下剤だと!!??

生まれてこの方、下痢じゃない日が無いこの私に下剤だと!?

無茶だ!お酒に弱い人に駆けつけ一杯でテキーラを飲ませるくらい無茶だ!

もしくはアンパンマン東京サマーランドに連れて行くくらい無茶だ!!

 

注意4「検査が順調に進むように、以下の通り胃を動かす準備体操をしながら待機してください。(イラスト付き)」

 

イラストに書いてある「お腹を膨らませながらポポポポポと発声する」をやろうとしたが、周りに待機してる人で準備体操してる人なんていないし、誰も注意書き読んで無い、、、。これやったら変人扱い確定だな、、、。

 

 

 

 

 

私「ポポポポポ」

 

 

 

 

 

検査を終えて下剤を飲む初老のおじさんに対して「アイアンハートタカシ」(絶対名前タカシじゃない)とアダ名を付けていたら私の番に。

 

 

医「バリウム検査は初めてですか?」

私「はっ!はい!」

医「では、台の上に立って頂いて右回りに一回転してみましょう。」

 

立ったまま右回りをさせられる。

リハビリか。

 

医「検査中、何回か右回りに回転してもらいます。この動きを覚えておいてくださいね。」

 

右回りくらい分かるわ。

リハビリか。

 

医「じゃあ発泡剤飲んでください。」

 

出た、発泡剤。

一気に飲み干した後、少しの水を飲む。

 

私「あれ、おかしいな、全然ゲップしたくならないぞ、、、。」

 

「ゲップに強い」という超どうでもいい属性をいつの間にか取得していた模様。

なぜ普段役に立たないことばかり知らぬうちに身につくんだ。。。

 

医「次にバリウムを一口飲んでみましょう。」

 

噂では不味すぎて飲めない人もいると言われるバリウムを口に含む。

 

私「あれ、、、これ、飲むヨーグルトじゃん!普通に美味え!」

 

バリウムを美味しく嗜める」という超どうでもいい属性もいつの間にか取得していた模様。

恐らく、私の舌はゴミで出来てる。

 

そして、検査開始。

台が直立の状態から水平に動き出し、それに身を委ねていた。

 

医「何やってんの!右回り早くして!」

 

えっ、いきなり右回り?と右に半回転。

それより、なぜタメ口になった、医者。

 

医「違うよ!一回転するんだよ!早く!」

 

言われるがままに台の上で一回転。

おい、だからなんで急にタメ口なんだよ。

どんな距離の取り方してんだ、童貞か。

 

医「止まらないで!3回転して!」

医「違うって!左向いて!」

医「早く腰上げて!!なにしてんの!」

 

めっちゃ怒るやん。

ずっとタメ口やん。

しかも、左向きとか言われてない動きやん。

 

ずっと横になった台の上でグルグル回転させられる。

台自体もグルグル回転する。

 

この動きをアイアンハートタカシはこなしていたと言うのか?

診察終わりのあの清々しいタカシの顔が信じられない。

嘘だろ、この動きめちゃくちゃ激しいぞ。

 

テンパった私、右と左の違いが分からなくなり、「お茶碗持つ方!お箸持つ方!」と言うかつての母の言葉が脳内にリフレイン。

 

医「そうじゃない!左斜め前を向くんだよ!」

医者の怒声がピークに達する。

 

思わずガラス越しの医者に向けて鬼ギレの視線を向ける。

 

医「もう少し左を向いて、、、ください」

医者、急に敬語になる。

 

検査終了。

訳がわからない時間だった。

アイアンハートタカシに対するリスペクトだけが急上昇する初めての体験だった。

 

 

そして、「腹痛サラリーマン、はじめての下剤」へ。

 

1時間後、大井町線の中で顔面蒼白になっている腹痛サラリーマンの姿が。

 

トイレから出れねえ。

 

みんな、薬物と下剤には手を出すな。

そこにピースは無い。

9回目

前回、痔の話を書いた。

 

気分が舞い上がっていた。

12年ぶりに勇気を出して行った病院だったが、絶対手術だと思っていたにも関わらず薬による治療となったこと。

そして、薬が凄く効いたこと。

 

物凄いドヤ顔で前回のブログを己のために書き上げた。

俺は勝ったと噛み締めながら。

何に勝ったのかさっぱり分からないし、何だったら痔主になった時点で完全に負け戦なのだけど。

俺は勝ったのだと。

祝杯ならぬ、祝飯を上げながら。(夕飯のご飯お代わり)

 

 

その翌日。

 

 

「先生、、、お尻から血が止まりません、、、。」

 

 

おい!全然薬効かねえじゃねえか!!

現代の医学の進歩に震えながら、夕飯のご飯お代わりした俺の純粋な気持ち返せや!

 

 

もうどうにも止まらないので、ウララウララと会社を抜け出し病院へ行くことに。

 

会議中に病院に行きたい旨を申し出たところ、親会社の女性社員に「どこか悪いんですか?」と問われたので、そこはレディーファーストに長けてる私、「痔です」と正直に話して反応を楽しむか迷ったのですが、

 

 

「消化器系をちょっとこじらせちゃいまして、、、笑」

 

 

と、今振り返ってもなぜ消化器系を選択したのか分からない微妙すぎる嘘で泣きたくなる。

しかも、最後の苦笑いなんだコラ!

 

「消化器って、胃ですか?」との問いを完全に無視して退社。

 

肛門じゃい。

 

そして、2回目にして行き慣れたと感じる病院のドアを華麗に開け、受付の方に爽やかな笑顔で挨拶し、「今日はどうなさいましたか?」の問いかけに食い気味に「痔です」と返答。

保健証と診察券をスムーズに手渡し、本棚に置いてあった武蔵小杉ウォーカーを熟読しながら診察を待つ。

 

緊張で文字が読めない。

お前、全然慣れてないぞ、病院。

 

そして、診察。

 

医者「うん、気長に頑張ろう。」

私「あの、気長にって、どれくらいですか?」

医者「相当酷いから、まぁ気長に付き合っていこうよ。」

私「先生、あの、気長にって」

医者「お薬1ヶ月分出しときますね。」

 

 

私の痔は、いつ治るのか。

それは、医者でさえ教えてくれない機密事項。

 

 

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バイブルゲット。熟読せよ。

 

8回目

いつの頃からか覚えていない。

闘うことから目を背けてきた。

怯えながら目を瞑って来た日々。

何年間経っただろう。いや、何十年経っただろう。

 

薄れ行く記憶を辿って行った先に、一番古い記憶としてひっそりと、うっすらと片隅に残っているこの問題と初めて直面したのは小学生高学年の頃に行った沖縄旅行だと思う。

 

沖縄のあの青い海を飛行機の窓から眺めた時、この世の物とは思えない美しい光景に心の底から感動した。

正確には初めて乗る飛行機が怖すぎて、超真顔かつ無言でオーシャンビューを眺めていた。

旅先の小学生の真顔ほど怖いものは無い。

 

私自身、海辺の小さな街に住んでいたため海は身近で生活に密接な関係だった。

沖縄の浅瀬の透き通る水色と対照的な沖合の藍色のコントラストの比較対象として、一面ダークネイビーでデスクトップパソコンが不法投棄されている地元の海に目が慣れてしまっていたことも、感動作用として大きく働いたと推測する。

 

海とプールではしゃいだ夏の日。

夜は満天の星空の下、星砂を拾って。

少年は眠りに就いた。

清々しい翌朝、トイレで見た光景。

青の対となる、赤。

 

私は小学生にして、地主、否、痔主となった。

 

「なぜ少年は沖縄で痔にならなければならなかったのか。」

 

このタイトルで新書を出したいくらいだ。

価格880円くらいでいかがでしょうか。

 

さて、そこから少年は30歳のおっさんとなった現在までタイトル通り毎日腹痛の人生を送ることになる。

それと並行して少年は、大人の階段を辛うじて息切れしつつ登りながら、長い年月をかけて、望んでもいない沖縄で手に入れた小さな土地を知らぬうちに高度経済成長させ、超巨大マンモス団地(死語)の大痔主へと成り上がる。

 

記憶というのは曖昧なもので、次に古い記憶は高校時代まで進んでしまう。

 

高校卒業前、18歳という多感な時期に我が痔はビッグバンを起こした。

超新星爆発だ。

取り敢えず日本語に訳してみました。

 

その時まで何よりも医者嫌い、医者が怖くてしょうがない私はこの問題から目を背けていた。

 

その頃、思春期も爆発していた私は親とは一切口を聞かず、夕飯は一人自室で食べる生活を送っていた。

 

そんな時に起きたビッグバン。

いや、超新星爆発

自分の体に何が起きたのか分からず、血まみれのトイレから出た時に、「こりゃもうあかんやつや。」と呟き、遂に超絶苦手No.1スポット「病院」へ行くことを決意した。

 

そして、久々に会話する親に向けてこう言った。真顔で。

 

「あのよぉ、肛門爆発したんだけどよぉ、、、マジで医者怖いわ。。。どうしよう。。。着いて来てくれないかな、、、母ちゃん。」

 

金髪高校生、肛門科に母を連れて。

 

久々に息子に話しかけられ喜ぶ母。

まさか第一声で肛門科に誘われるとは。

一瞬にして表情が曇る母へ。すまん。

 

医者までの道中、極度の緊張状態に陥る私に「私も酷い痔だったけど、ヨガやったら治ったよ。ヨガ。」と謎のアドバイスをする母。

ヨガやってるとこ一回も見たことない、、、。

 

そして、初めての診察。

異性とのお付き合いもしたことない童貞少年が、己のケツを看護師のおばさんにお披露目するのは、思春期の自分には耐えられなかった。

 

そして、診察。

悶絶、悶絶、悶絶。

 

変な金属を入れられて、グリグリされて。

ぐりとぐら

 

診察後、医者から「もうこれ数年後には絶対手術することになるけど、今切る?」という絶望的な結果を告げられ、「バイトがあるので、、、店長とシフトの相談して決めても良いでしょうか。。。」と回答した。

 

もちろんバイトなどしていない。

 

帰り道、駅のホームで私は謎の胃痛に襲われてベンチから一歩も歩けなくなっていた。

母は私の背中をさすりながら、「手術するか、ヨガするか、、、」と謎の言葉を、何度も走り去る赤い電車に向けて呟いていた。

 

 

そして舞台は一気に29歳へ!

前述の病院より痔は日を増すごとに悪化したが、大量出血しても無視を決め込んでいた私は、健康診断で「ヘモグロビン値が異常なまでに低い」とのことで鉄欠乏性貧血と診断されるも華麗にスルー。

全然貧血の症状は出なかった。

念のため鉄分サプリを飲む生活が一年続いた。

 

そして、先週だ。

どーもフラフラする。

ソファに寝転がって立ち上がると高確率でふらつき、酷い時は視界が真っ白になる。

こんな事は今までなかった。

 

先月あたりから連日、ビッグバンを起こしていた。

いや、超新星爆発

そして、華厳の滝の如く垂れ流される血の涙。

このままではヤバい。

何かを直感的に感じた。

 

フラフラと霞み行く視界の中、会社に辿り着くも、冒頭の一文が頭の中で繰り返される。

新しいジャンルの仕事をすることになり、うまく進まない日々にイラつきながら。

 

「俺はいつまで痔に怯えるんだ、、、それよりも苦痛なこの仕事はいつ終わるんだ、、、あれ、痔の手術するなら入院出来るかもしれないな、、、会社休めるんじゃねぇか!?」

 

私、速攻で「本日、通院のため午後休取得します」と件名を社内メールに打ち込み一斉送信。

 

逃げるように会社を飛び出し、肛門科の扉をオープン!

あんなに嫌だった病院も会社には勝てないのだ。

 

そして12年ぶりの金属をぶちこまれ、ぐりとぐら

診察中に大量出血。

医者ドン引き。

看護師、大慌て。

 

そして、診察結果。

「薬出しときますね。お大事に。」

 

おい!手術わい!

会社休めねぇじゃねぇかよ!!

 

薬なんて効くわけがない。

俺は12年前に手術ドラフトで一位指名された逸材だぞ。

 

そして、現代の医学、医薬の進歩は想像を超えていたことを痛感する。

薬、めっちゃ効くやん、、、。

 

最後に診察翌日、たまたま連絡が来た母とのやりとりを載せておく。

 

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 本当にヨガやってたんかい。

 

 

7回目

前回の投稿から一ヶ月が経ったらしい。

 

「おい、てめぇ、約一ヶ月更新してねぇじゃねぇか!何でも良いから投稿しろクソが!」

 

という主旨のメールが、はてなブログからすごく丁寧な文面で届いたので、何も起きてない日常を捻り出してみる。

 

・GWのこと

大型連休は一瞬で過ぎ去った。

関東地方の今年のGWは全日程素晴らしいまでの快晴だった。

 

みなさん、いかがお過ごしだったでしょうか。

楽しい思い出が出来たでしょうか。

 

私は水色の画用紙に白い絵の具をぶちまけたような初夏の日差しを傍目に、2日目にBBQというテッパンの催し(ダブルミーニング)に参加した以外、家に一人引きこもっていた。

普段室内で仕事している私。

久々に直射日光を浴びたことにより、腕、顔、首が火傷レベルの日焼けとなり、アロエクリームだけを無心に塗り続ける日々が続いた。

そして、アロエクリームが尽き掛けたGW最終日、abemaTVのペットチャンネルにて「カワウソの水浴び映像」を無言かつ死んだ魚の目で観ている自分を俯瞰で眺めて泣いた。

 

あぁ、ゴールデンウィーク。。。

友達いない私に現実を突き付けないでくれ。。。

 

 

と、ここまで記載して更に一ヶ月が経過。

この二ヶ月間、2日に一回ほどのペースで絶え間無くアクセスされている方がいらっしゃるようですが、すいませんでした。

 

今後は頑張るばい。 

 

 

 

6回目

先日の平日のこと。

 

朝、起きると東横線アプリから通知が入っていた。

電車のドアに乗客の傘が挟まったようで15分ほど遅延しているとのこと。

 

仕方ない、誰も悪くない。

一本前の電車に乗るために早く家を出ようと準備を急いだ。

 

社会人の皆さんはお分かりの通り、朝の15分間はとてつもなく貴重だ。

 

朝ごはんだって食べれる。

トイレものんびりできる。

15分間二度寝だってできる。

 

さぁ、家を出ようと再び携帯電話に目を向けると新たな通知が来ていた。

 

「約52分間遅延しています。」

 

もはや笑った。

 

がっつり二度寝できる。

上大岡タンタンの行列に並んで敢えてタンタン麺頼まずに「チャーギョー(炒飯&餃子)」食えるぞ。

 

もはやどうすることも出来ないので時間休を取得し、1時間後に家を出た。

傘が挟まっただけだし、解消したのだろう。

新たな遅延の通知も特に来ていない。

 

降りしきる雨の中、家を出る。

サラリーマンは辛い、家で寝てたい、上司ぶっ飛ばしたい。

だけど今日も1日頑張ろう。

嫌な事をしながらお金を稼いで今日も生き抜くのだ。

そんな想いを込めた第一歩。

 

革靴の底にがっつり穴が空いていて浸水。

もう、左足の裏だけ海の中歩いてるみたいな感じ。

超気持ち悪いやつ。

 

ヌチャヌチャと音を立てる我が左足に最大級の軽蔑の視線を送りながら駅に着く。

 

電車は来ない。

 

携帯のアプリを開き遅延状況を確認する。

 

「約48分間遅延しています。」

 

よく頑張った、4分間も巻き返したぞ!

さすが東横線

通勤ラッシュ過ぎて1時間かけて4分間も遅延を取り戻すなんてすげぇよ!

都市開発だけやってた方が色々上手くいくと思うぞ!

 

駅のホームから本日二度目の時間休を取得する。

 

泥酔した大学生の千鳥足のような速度の電車に揺られ、昼前に職場の最寄駅に着く。

駅近のコンビニで弁当を買ってレジに向かう。

 

レジが通らない。

私が選んだ商品が全て廃棄対象とのこと。

 

なぜだ。

昼前のコンビニに陳列されている弁当がなぜ全て廃棄対象なんだ。

商品入れ替えがある深夜〜早朝なら分かるけど。

関係ないけどなんで店員が「どうすんの?売れないけど」ってキレてんだよ。

俺の左足のヌチャヌチャした靴下ぶっかけてやろうか、おい。

左足だけ裸足のサラリーマン、マジで怖えぞ。

 

この日記を書いた後に各SNSを見たら、周りの友人の幸せ溢れるピースフルな投稿に心がえぐられたので、FacebooktwitterInstagramのアプリを削除した。

 

さらば、ソーシャルネットワーキングサービス。

辛いことばかりだけど、悲しいことばっかり起きるけど、いつか笑えるその日まで。

 

革靴にガムテープを。

 

5回目

「仕事が好き。」

 

という人に巡り会うことがごく稀にあるのだが、その度に、

 

「は、、、はぁう、、、あぁぁ!!」

 

と、言葉にならない心の声と共に、

ウンコ踏んだ時と同じ様な感情が心をじわじわと満たしていく。

 

そんな私も、毎朝、満員電車に揺られながら、

東横線遅延しすぎだろバカ野郎と思いながら、

お腹の痛みに耐えながら、

オフィス内で一番遅く出社しています。

(勝手に出社時間を遅らせるシフト勤務を始めた結果、協力会社までシフト勤務を導入してしまい、うちのチームのみ10時出社という異端児集団に変貌。現在、直属の上司が頭を抱えている状況。)

 

働きたくは無い。

だが、働かないと生きていけない。

 

昨年、オフィスが移転して、オープンオフィスとなった。

出社する頃には200人ほどの従業員が忙しなく会議や雑務をこなす風景が一面に広がる。

この世で最も美しくない風景だ。

いや、戦うパパ達の姿は美しい。風景は地獄。

 

殆どの従業員は9時には仕事を始めている。

私はどうして9時に家を出ているのだろう。

 

そんな中、上には上がいる。

世の中は広い。あまりに広すぎる。

 

私と対面の席の男性先輩社員。

勤続まもなく20年。

役職無し。

 

オフィス移転前はパーティションに隔離された席にいたためその仕事ぶりを拝めなかったのだが、オープンオフィス化により拝見できることとなった。

 

因みにジャバザハットに似ている。

 

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先輩のプロフェッショナルな仕事ぶりを時系列で記載する。

春から就職する新社会人のみなさま、ぜひ参考にして欲しい。

 

AM9:00〜AM10:00

私、出勤中のため不明。

 

AM10:00〜AM10:30

先輩、既に白目剥き出しで熟睡中。

 

AM10:30〜AM11:00

先輩、上司から強烈な公開説教を受ける。

 

AM11:00〜AM11:03

先輩、説教終わりと同時に上司を目の前にして鼻歌をハミング。(恐らくオリジナルソング)

 

AM11:03〜PM12:00

先輩、再び白目剥き出しで熟睡。(頼む、目を閉じて寝てくれ)

 

PM12:00〜PM12:00

先輩、起きる。

 

PM12:00〜PM12:15

先輩、午前中期限の資料が未着手であることが発覚し、上司から公開説教を再び食らう。

 

PM12:15〜PM12:20

先輩、説教中に不機嫌になる。(昼飯が食べたい模様)

 

PM12:20〜PM13:00

先輩、資料のことは無視して昼飯に没頭。食べ終わりと共にお昼寝に突入。

 

PM13:00〜PM13:40

先輩、シエスタを継続。

 

PM13:40〜PM13:50

先輩、隣の女性社員(この方は先輩と2人チーム。常にヘッドバンキングをしながら、鼻から息を1分間に200回近く吸う謎の呼吸法が特徴)と談笑。

 

PM13:50〜PM14:00

先輩、突然離婚したことを告白。

 

PM14:00〜PM14:05

先輩、離婚調停により娘に一生会えないことを告白。

 

PM14:05〜PM14:10

先輩、調停の結果、年に1枚だけ娘の写真が送られてくることを告白。

 

PM14:10〜PM14:10

私、あまりのハードな会話内容に胃もたれを起こす。

 

PM14:10〜PM16:20

先輩、5分おきに白目を剥いては目を覚ます状態をキープしながら資料作りに着手。(キーボードを叩く音が殆どしない)

 

PM16:20〜PM16:25

先輩、上司から資料作成の進捗状況を問われるも「分かりません。」という謎の回答をする。

 

PM16:25〜PM17:20

先輩、目を見開いたまま一切微動だにしなくなる。(寝てる)

 

PM17:20〜PM17:30

先輩、帰り支度を開始。

 

PM17:30〜PM17:35

先輩、颯爽と帰ろうとするも作った資料が間違えまくりで上司からパワハラ気味に叱責される。

 

PM17:35〜PM17:40

先輩、帰れないことにキレる。

 

PM17:40〜PM18:00

先輩、資料を直したと宣言し鼻歌をハミングしながら退社。

 

PM18:00

先輩の上司、「全く直ってねぇ、、、」と嘆く。

 

 

私の目の前で、これが月曜日から金曜日までドラマの再放送のようにエンドレスリピート。

私が必死こいて仕事してる時も、モニター越しに先輩の白目剥き出し失神状態が視界の片隅に映り込んでくる。

 

先輩はエリートだ。

まず、説教に対する謝罪の気持ちが皆無の鉄のハートは生まれ持った才能だ。

 

彼の給料は全て間接費(赤字)から支払われている。

利益を生む仕事は一切しないため、彼が働けば働くだけ売り上げは悪化する。

つまり、早く帰ることが最も重要な仕事だ。

 

そして責任が伴う仕事は全く依頼されない。

一日中インターネットや昼寝をしていれば給料が貰える夢のポジションを実力で掴み取っている。

 

私は先輩から多くのことを教わった。

 

生きるために働け。

働くために生きるな。

 

そして、労働組合に入っていれば刑事事件を起こさない限りクビにならないぞ、と。

 

新社会人になる皆さん。

労働組合には必ず加入しましょう。

 

因みに、今日の先輩は情報セキュリティ強化週間の周知メールを宛先誤送信して怒られてました。

4回目

このブログを親愛なる友人に捧げる。

捧げられても困ると思うけど。

 

 

 

2017年2月25日、土曜日、晴れ。

  

一週間近く前から体調を崩していた私は、この日を何とか無事に迎える為に木曜日、金曜日と仕事を休み、完全療養に入った。

インフルエンザでは無いという診察結果に一安心だったがフラフラで真っ直ぐ歩くことができず「あかん、これあかんやつや。」と二回しか行ったことの無い大阪弁が思わず溢れる絶不調ぶり。

 

二日間会社と一切の連絡を断絶し、寝て、寝て、寝た。

なんなら、寝すぎて夜寝れないやつ。

 

そして、迎えた2月25日、朝7時。

普段、スヌーズ機能はこの世に存在しない架空の機能ではなかろうかと思いこんでいる私(オフィス内で一番出社時間が遅い)も流石に一発で目が覚めて一言。

 

「あかん。これあかんやつや。」

 

なんかめちゃくちゃ下痢だし、木曜日より体調悪くなってるけどもう知らねえ。気合だ。

 

アニマル浜口先生、オラに力を。

 

朝8時すぎ、風邪特有のダルい体を引きずりながら、私は友人の結婚式へ向かった。

 

 

 

12年前の2005年2月25日、高校卒業1週間前。

朝7時過ぎに私の家に学ランを着た彼は現れた。

家が近かった。お互いの実家が歩いて15分くらいの場所だった。

 

登校前に私の部屋でVHSに録画したYUKIのJOYのPVをテレビデオからリピートに次ぐリピート再生。

このテレビデオ、後に文化祭のファッションショーや私も参加したライブを記録した青春が詰まった大切なビデオを詰まらせたままそっと息を引き取った。(誰か同じビデオ持ってたらください)

 

YUKI様のあまりの可愛さに悶絶する童貞男子高校生2名は、早朝から雄叫びを上げた後、PVのダンスを無言で汗だくになりながらクネクネと踊りきり、登校するために最寄駅へ向かった。

絵にも描きたくないクソみたいな高校生活。

最低で最高な何も無い日常。彼はそこにいた。

 

そんな彼が本日、新郎として、漆黒の学ランでは無く純白のタキシードを着て私たちの前に現れるという。

 

 

 

もう少し思い出を振り返ろう。

 

彼と出会った瞬間の記憶は皆無だ。

一体最初にどんな言葉を交わしたのか、どんな出来事だったのか、何も覚えていない。

覚えていたら教えて欲しい。

 

気付いた時には隣にいた。 いや、授業中に私の後ろで漫画「はじめの一歩」を哲学書を読みふけるが如く神妙な顏で熟読していた。

読唇術よろしく、その口元にフォーカスを当ててしばらく観察したところ、声は出さずとも「デンプシーロール」という単語を呟き続けていたのを覚えている。

先生の話聞け、バカ。

 

高校2年の時に同じクラスになった。

恐らく初対面はここだ。自信はないけど多分ここだろ。ここにしとくわ。

クラス替えの初日、女子と気さくに会話を交わす姿に「あ、この人とは絶対仲良くなれない。鎖国します。」と唇を噛みしめた記憶だけは残っている。

 

彼は吹奏楽部に入っていた。

女子が多数を占める大所帯の部活であり、あのアイドル顏である。

廊下を歩けば後輩からキャーキャー呼び止められていた。

近隣中学校の吹奏楽部と合同練習をした結果、女子中学生がその日のうちに彼のファンクラブを結成したというエピソードを人づてに聞いた時、鎖国は決定的となった。

 

同じクラスとはいえ、スクールカーストのピラミッドの中で、私と彼は確実に異なるクラスにいた。

 

 

 

ここまで書いてきたところで、記憶の片隅からずっと忘れていた映像が浮かぶ。不思議な感覚だ。

 

高校に向かう一本道の通学路。

さっきまで乗っていた赤い電車が横浜方面へ走り去っていくのを欠伸をしながら眺めていた。

 

たまたま同じ電車に乗り合わせていたらしい彼はちょうど私の前を肩を落としながら登校していた。

この頃はそんなに仲良くはないはずだ。

 

私「どうした?何かあったの?」

彼「実はさ。。。」

 

前日に起きたある出来事について彼は話し始めた。

 

彼はなぜ凹んでいたのか。

彼が何を発したのか。

それは私の記憶の中に留めておこう。

 

だが、この会話により鎖国はあっさりと解除されることとなる。

 

「 君のこと、これから”ペレ”か”エド”って呼んでも良いかな?」と腹を抱えながら笑う私を、彼は殺意を持った眼差しと共に思いきり殴りつけた。

 

この一件以来、話す機会は格段と増え、学校外でも遊ぶようになっていった。

 

 

 

蒸し暑い夏の夜。恐らく高校2年生。

当時「髪の毛だけは明るい暗い人」と思い出しただけで死にたくなる形容詞を付けられていた私は、彼に「暇だし髪の毛でも染めてみないか?」と提案した。

どんな提案だ。新人美容師か。

 

ノリノリで了解した彼(了解する方もどうかと思うぞ)を引き連れ、真夜中のコンビニで「ギャッツビーEXハイブリーチ」という強烈な効き目のブリーチ剤を購入。

 

「お前んちで染めさせてもらうわ!」とビニール袋片手に笑顔で話しかけて来た彼に対して「もう夜中だからうちは厳しいわ。」とモアイ像の如き無表情で返答し、近所の公園へと連れ出した。

 

真夜中の誰もいない公園、上半身裸となった彼の髪の毛にブリーチ剤をぶちまける。

動くと液体が零れ落ちてズボンに付いてしまうと伝えると、彼は微動だにせず案山子の様に棒立ちになっていた。

それから1分ほど経った頃だろうか。

 

彼「染まるまであとどれくらい掛かるの?んー、ん?かっ!かゆ!なんか痒い!えっ!!なんかめっちゃ痒い!」

 

突然彼は上半身を掻き毟り、叫びだした。

 

木々と雑草まみれの公園。そして、真夏。

そこは蚊の集合住宅地。

ブリーチ剤の独特な香りが相乗効果を生んだのか、大量の蚊が彼に襲いかかっていた。

 

夕暮れのようにスーっと上半身が赤く変色し悶絶する友人に、

 

「あと25分です。」

 

と敬語で待ち時間を伝えた私は、今思い出しても悪魔に取り憑かれていたのだと思う。すまん。

 

当然耐えきれず、断末魔の雄叫びを上げた彼は「もう洗い流す!無理だ!死んじゃう!」と水道へ向かって走り出した。

 

私「シャンプーあるの?」

彼「シャ、シャンプー!?」

私「ああ。水だけじゃ落ちないからシャンプー使わないと。Tシャツ着れないぞ。」

彼「シャンプーなんてねえよ!」

私「そりゃ公園だからな。」

彼「それなら、風呂貸してくれよ!」

私「親寝てるし無理だよ。」

彼「ならシャンプー持って来てくれよ!すぐそこだろ!」

私「うち、シャンプー無いんだわ。」

彼「シャンプー無い家なんてないだろ!」

私「うち、リンスインシャンプーだからさ。」

彼「リンスインでも良いだろ!」

私「リンスインで良いわけねぇだろうが!!」

彼「えええぇ、、、」

 

髪の毛に大量の液体を塗布した上裸の男子高校生(この時点で髪の毛はかなり脱色していたが伝えず)が、がっつり肩を落としながら家路に着く後ろ姿を優しく見送った。

 

別れ際、彼はしきりに「液が目に入りそうで前がよく見えないんだけど、どうしたらいいかな。」と呟き続けていたが聞こえなかったことにした。

 

遠くなっていく上裸の彼の背後からゆっくりと赤色灯を消した県警のパトカーが近づいて行く。

美しい夜の景色だった。

 

カラオケやゲームセンターファミリーレストラン

一般的な高校の遊び場はお金のない私たちには無縁の場所だった。

遊ぶとしたら公園か外で喋るか走り回るだけ。

磯野と中嶋の高校生版を想像してほしい。

 

別の日の夜、全力疾走でギャーギャー鬼ごっこを楽しんだ挙句、彼の家に疲労困憊でぶっ倒れた瞬間に玄関のチャイムが鳴った。

彼がドアを開けた時、目の前にいたのも県警の皆様だった。(鬼ごっこで通報という警察も困惑する事案が発生)

県警に愛される男なのだ。

 

 

 

印象深い思い出はやはり、富士登山だろう。

登山当日、台風が関東地方に接近していたが富士山を避けるように通過する予報だった。

 

小雨降る中、登山を開始した。

順調だった。

6合目で彼は至福の表情を浮かべながら山小屋価格のカップラーメンを食べていた。

 

彼「くぅー!生き返るぅー!」

私「そんなん食べて余裕あるな、お前。」

 

美味い!生き返る!と叫び続ける彼から手渡されたカップラーメンを私は口にせず返した。

 

雨にもかかわらず周囲には大勢の登山客がいた。

ヘッドライトの光が一つの道のように連なっていた。

だが、登り進めるうちに次第に周りには誰もいなくなり、強まる雨の影響か私のヘッドライトの光は消えて周囲は闇に包まれた。

 

台風直撃、富士山、7合目。

そこに私と彼はいた。

暴風雨、視界ゼロ。歩くことも困難で強風が体をなぎ倒す。

 

私たちはあっさりと遭難した。

厳密にはやっとの思いで人がいるところまで辿り着き、山小屋の目の前で「自己責任」と避難を断られた20人ほどの集団の中にいた。

目の前のガラス扉の向こうには温かい暖炉で体を温めている登山客がいた。

その光景を横殴りの暴風雨にボコボコにされながらただ眺めるしかなかった。

 

初登山の我々が防水加工の登山服など持ち合わせているわけもなく、全身は着衣水泳後の様にびしょ濡れの状態だった。

「富士山噴火した?」と勘違いするほど全身がガタガタと震えていく。

避難しようにも、どこにも屋根は無い。

 

正直、本当に死を悟った。

話を盛ってるわけではなく、あまりの寒さと体の震えに呼吸が上手くできなくなっていた。

 

焦っていた。軽くパニックを引き起こした後「こうやって人は死んでくんだなぁ」と頭の中は嫌なまでに冷静になっていった。

諦めの感情に包まれた時、全身の感覚はもう無かった。

 

もうダメだと目線を落とすと、そこには四つん這いになり、生まれたての子鹿のように立ち上がることができないまま、白目で昇天しかけている彼がいた。

 

数時間前に「くぅー!生き返るぅー!」とカップラーメン片手に叫んでいた奴が目の前で「完全に死にかけてる」のである。

 

思わず笑った。その激しすぎる落差に笑うしかなかった。

 

気温5℃。

もう4、5時間この台風の中にいる。

何とか雨を凌がないと、体を温めないと、俺たちは死ぬ。

 

暗闇を彷徨い広めの公衆トイレを見つけた。

雨風を防げるそのトイレの中には3人の屈強な外国人が床に倒れ、家族連れや学生など10人前後の登山客が肩を寄せ合い震えていた。

 

ずぶ濡れの人が密集して出来た湿気と悪臭と見たこともない虫に囲まれながら数時間立ち続け朝を迎えた。生き抜いた。

 

公衆トイレから出ると台風は通過していた。

雨上がり、霧に囲まれた世界。

予約していた山小屋は霧の隙間から確認できるほどすぐそこに鎮座していた。

 

私「あそこまで行けば休めるから、あと少し頑張ろう」

 

そう呟いて隣にいた彼を見て驚いた。

私の隣には彼ではなく、見知らぬおじいちゃんが立っていた。

 

私「どこ行った!知らないおじいちゃんしかいないじゃないか!」

彼「おじいちゃんじゃない、、、俺だ。」

 

何とトイレから外に出た瞬間に彼は高山病を発症。

数時間も高度の変化無し。なぜこの瞬間に発症する。構ってちゃんか。

 

強烈な頭痛と吐き気により、彼の顔は歪み、シワまみれに変形していた。

脚色無しで「おじいちゃん」に変身していた。

 

彼「絶対カップラーメンのせいだ、、、吐気が止まらない。」

私「お前本当にここで息の根止めてやろうか。」

 

雨上がりの富士山、8合目。

予約済みの山小屋を目前にして登頂を断念。

何とか生き延びて生を実感した直後、高山病で歩けない彼を担ぎながら即下山スタートという地獄のような展開に。

 

彼「ちょっと止まってくれ。吐きそうだ。」

私「腹減った。牛丼食べたい。」

彼「頼む。食べ物の話はやめてくれ。。。」

私「ラーメンでも良いな。」

彼「やめて、、、」

私「油多めで。」

彼「おええええ!!」

 

カップラーメンに救われ、カップラーメンに裏切られた愚かな男。

その男に登山を断念させられ、休む間も無く下山させられる私。

 

怒りのあまり彼を精神的に追い詰める「食べ物縛り」のトークを念仏の様に耳元で囁きながら下山した。

「マヨネーズ」という単語と共に彼は膝から崩れ落ちた。

 

高山病は高度が下がるにつれて症状が嘘のように和らぐようで、彼は5合目に近づいた頃一人で歩けるほど体力を取り戻し、なぜか登山客の財布の落し物を率先して交番に届けるという善行を行い、下山直後にカレーライスを大盛りで注文する始末。

 

彼「いやぁ、カレー最高に美味いわ。生き返るわぁ。」

私「お前、一生許さねぇからな。」 

 

私は今も富士山を登頂出来ていない。

彼は昨年、他の友人を引き連れ富士山を無事登頂し、頂上での写真をSNSにこれでもかとアップロード。

 

なんだろう、この感情。

皆さん、分かりますかね、この感情。

 

遭難時、もう一人の友人がいたのだが、それはその友人が結婚した時に振り返ろうと思う。

 

 

 

こんな最低な出来事を思い出し、おもわず吹き出しそうになりながら、電車に揺られていた。

彼が好きだった銀杏BOYZのNO FUTURE NO CRYをBGMに。

 

 

式場に着き、受付の役目を果たす。

懐かしい友人が大集結し、挙式は始まった。

 

 

 

ケツ毛だけ異常なまでに濃い奴だった。

ラーメン屋でサイドメニューしか頼めないくらい金が無い奴だった。

誰かのアウトプットを、さも自分が発信したように真似する奴だった。

ケンカしたことも無いのに決闘しようとする奴だった。

バイト先の古本屋で最高に暗いアンビエントミュージックを流す奴だった。
管楽器リペア科という謎の科に入学する奴だった。

女に振られて雨の中、運転席で泣く奴だった。

中古レコード屋に行きすぎて破産する奴だった。

凹んでる人間をニヤニヤしながら励ます奴だった。

呼んだらすぐに駆けつけてくれる奴だった。

そして、何よりも優しい奴だった。

 

 

結婚式、人生の大舞台。

大勢の友人が彼を見守っている。

カルテットの演奏、吹き抜けから見える青すぎる空、旧友たちの嬉しそうな顔。

 

幸せ溢れる空間に純白のタキシードを着た彼はゆっくりとバージンロードを歩いて現れた。

彼の表情を見て、込み上げる感情を堪えきれずに思わず呟いてしまった。

 

 

 

「あいつ、富士山で高山病になった時と同じ顔じゃねぇか。」

 

 

 

極度の緊張から歪むその表情は、あの日と同じ顔をしていた。

ただ、ぎこちない笑顔だけはあの日とは違って喜びに溢れていた。

 

その後、式は祝福に包まれながら進み、牧師による「それでは、みなさま。瞳を閉じて新郎新婦との良き思い出を振り返りましょう。」という謎のメッセージと同時に「星に願いを(オルゴールver)」がスピーカーから流れる怒涛のクライマックスに突入。

 

「なぁ、みんな。これ歯医者の待合室みたいじゃないか?」

 

私の問いかけに隣に座っていた友人が「それ以上何も喋るな!なんで演奏家いるのにCD再生なのかとか気にするな!」と耳元で答えてくれたが、みな新郎新婦との思い出をこの日記を書いた私のように振り返っていた。

私は幼少期に歯医者の待合室で流れていた銀河鉄道999を思い出していた。

 

良い式だった。

この一言に尽きる。

 

それ以外に表現できる言葉を私が知らないだけかもしれないが。

良い式だったよ。

 

二次会、三次会と彼らへの祝福は止まらず、私は寒気と鼻水が止まらず終電前に帰宅した。

家に着いた瞬間、ヘルペスとイボ痔が爆発した。

よく頑張った、俺の体。

 

 

 

二人で生きていく。

楽しいことも、嬉しいことも、辛いことも、悲しいことも、一緒に二人で生きていく。

これから一人きりではあり得なかったことが沢山起きるはずだ。

幸せな時は一緒になれて良かったと思うだろうし、悲しい時は一人きりでいればよかったと思うだろう。

彼らはその思いを一人ではなく、二人で感じ続けながら、シワだらけのおじいちゃんおばあちゃんになって行ける。そう思った。

 

結婚おめでとう。

今度、酒でも飲みながら、この続きを話そっか。